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片山義美のドライバー功績が凄かった!公表されない逝去の原因は?

片山義美のドライバー功績が凄かった!公表されない逝去の原因は?

 

 

おはようございます!ぴゅぴなです^^

本日、休日、珍しく早起きです☀

というのも、先日金曜日、あまりの疲労に耐えられず

8時就寝💤(˘ω˘)・・・

日々、体力とともに失われていく集中力。

先日から、甘酒を取り入れて疲労回復に努めています。

効果が出るといいなぁ(´ー`)

 

 

さて、今朝は訃報をお伝えします。

マツダの名ドライバー『ワークスドライバー』として活躍された

片山義美さんが、お亡くなりになられていたことがわかりました。

片山さんの功績や偉業がどのようなものだったのか

今一度、追悼とともに見ていきたいと思います。

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片山義美さんのプロフィール

75歳で、お亡くなりになった片山さん。

その詳細については、公表されていません。

体調不良であったことも、一部では言われていますが真相のほどは不明。

 

 

 

片山さんは、

1940年5月15日。兵庫県神戸市に生まれました。

レーシングドライバー、レーシングライダーとして活躍され

引退後は、『カタヤマヨシミプロモーター』を設立。

 

 

 

引退、会社設立後も

マツダの新型車開発におけるテストドライバーを務め、

マツダ社内テストドライバーの育成を手がけるなど、

引退後もドライバーとして、そして『マツダ』には欠かせない人物として

現役で活躍されていました。

 

 

とても、大きな存在だったんですね。

本当に残念でなりません。

 

 

 

私自身、マツダ車が愛車です。

今後も、恐らくマツダの車に乗るでしょう。

 

 

 

片山さんに育成されたドライバーさん!

ぜひ、片山さんの技術を受け継いで繋げてくださいね。

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ツイッターでは?

突然の訃報でした。

やはり、突然のことで、驚きとショックが・・・

片山さんが、お亡くなりになられたのは、先月。

詳細なことが公表されないことは、やはり寂しいですね。

 

 

 

 

ドライバーとしての功績

 

  • 1960年、2輪ライダーとして、国内のレースに初参戦。

 

 

  • 1961年、第4回全日本クラブマンレース(2輪)でデビュー。

350ccクラスで優勝。圧倒的な速さから「関西の怪童」の異名を取る。

第1回鈴鹿日本グランプリにおいても優勝。

 

 

  • 1962年より、スズキ・ワークスチームより、世界グランプリに参戦。

日本グランプリ、西ドイツグランプリ、フランスグランプリ、ダッチTT等、数々のレースで優勝し

数々の海外主要レースを制する。

マン島にも出場し、そこでの活躍は『世界の賞賛』を浴び、

片山義美の名を確固たるものにする。

 

 

  • 1964年には、マツダのチーフドライバーとして国内の主要レースに参戦。

 

 

  • 1967年、『ベルギーグランプリ』に参戦。

ここで記録したコースレコードは、その後5年間、誰も塗り替えることができなかったという。

 

 

 

  • 1991年、引退。

引退後は、マツダ株式会社にて、新型車両開発のコンサルタント、テストドライバーのインストラクターとして活躍。

 

 

素晴らしい功績を残された片山さん。

マツダのワークスドライバーとして、マツダのエースとして活躍されていた時期には

あの世界の『トヨタ』から、引き抜き工作にあったこともあるようです。

 

 

 

そして、レースの世界での戦いぶりは、『汚いことをしない片山』であったそうです。

故意的な、幅寄せや接触が横行するなか、片山さんは、『やられたらやり返す』と語り

自分から故意的にやることは、一切しなかったんだとか。

紳士的で、素晴らしいテクニックをお持ちだったんでしょうね。

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